なんで野草かというと…
なんだかずっと気になる言葉というものがあります。
・・・というより、はっきり言うと、どうしても好きになれない言葉に「癒しの~」とか「LOHAS(ロハス)」、「スローライフ」なんてものがあります。
違和感を感じる言葉ともいえます。
ボクのように植物などを扱う仕事では、とくにこれらの言葉をよく耳にしますが、どうしても胡散臭く感じてしまうのです。
ナゼ? ずっと考えていたのですが、ひとつには「それらの言葉を使っておけばそれらしく聞こえるだろう」ってな感じで、あまり考えもせず使っている例がほとんどだからかなぁと。
たとえば、「ロハス」という言葉は単なる登録商標で、お金を出せばロハス(とそのイメージ)を簡単に買うことが出来ました。
【*さすがにロハスの商標・ライセンス販売は結局中止になったそうです・・・】
何でこんなことを書いたかというと、表面的でうわべだけを装った本物ではないものを多く目にしたり、目先の利益を優先するあまり、一見些細なことだけど大事なものがないがしろにされちゃぁいないかと感じることが多いからです。
「癒し」などはあくまで言葉でしかないのですが、その言葉を安易に用いてるものをみると、ボクなどは「うそモノ」イメージを逆に表しているかに思ってしまいますが、どうでしょうか?
枯れたコケにミドリ色の塗料をスプレーした「癒しの苔玉」とか、園芸種・外国種を日本に自生している山野草ですよなんてうたってたりとか。
確かに園芸種や外国種は華やかなものもあり、人の目を引きます。
ある意味では商品価値も高く、扱いやすいので仕事内容によってはボクも使用することがあります。
その一方で、日本の野草や雑木を積極的に使っているのは、それら日本の植物のもつ、園芸種にはない魅力を少しでも多くの人に知ってもらいたい気持ちが強いからです。
せっかく日本に住んでいるのだから、日本の気候風土をこまめに感じることの出来る野草を使わないのはそれこそもったいないです。
それに、うっかりすると地味で見過ごしてしまいそうな野草だからこそ、それらにふと目をとめることができる気持ちの余裕が、今の日本では一番必要なんじゃぁないかなーと日々思っております。
「かそけきもの」は、か弱いけれど力づよいのですよ。
| 固定リンク
「やそうのこと」カテゴリの記事
- ずいぶんふえました(贅沢な庭)(2009.05.28)
- 簡単ですよ!(2009.05.25)
- ドイツ製です!(2009.05.15)
- 久々に草盆栽(2009.05.15)
- ぞくぞく(2009.03.14)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント